人類学の書籍紹介

人類学の文献を(読んだものは)コメント付きで紹介します

山内昶 1994 『経済人類学への招待』

山内昶

 1994 『経済人類学への招待 ――ヒトはどう生きてきたか』 筑摩書房(ちくま新書013) 

 

目次

はじめに

第Ⅰ章 豊かな未開 vs 貧しい文明

第Ⅱ章 ヒト科ナマケモノ属 vs カローシ属

第Ⅲ章 進歩神話 vs 退歩神話

第Ⅳ章 成長経済 vs 定常経済

おわりに

 

内容

経済成長という死の舞踏を踊りつづける「豊かな」現代文明。コンピュータ・シミュレーションによる未来予測では、大量の生産と消費の果てに二十一世紀末には地球規模のカタストロフィが全人類を襲うという。はたして現代の経済システムの危機をのりこえる道はあるのか。本当の豊かさとは何かを考えるための経済人類学入門。

 

 一言コメント

 経済人類学が明らかにしてきた「未開」社会のデータを駆使しつつ、狩猟採集などの生活が極めて豊かかつ持続可能なものである一方、近代社会とはいかに非合理で効率の悪い生活であり、のみならず人間を存亡の危機に追いやっているかを論じる一冊。どうも著者自身はフィールドワークをしていないようで、そのあたりの書き振りが同業者にはちょっと物足りなく思える面もありますが、経済人類学の議論をハンディに参照できるという点ではたいへん有用な一冊です。

 

 

『現代思想 1982年6月号 特集=人類学の最前線』

現代思想 1982年6月号 特集=人類学の最前線』

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目次

連載・数のコスモロジー・6

数学は言語か (斎藤正彦)

連載・文化のトポロジー・第十八回

アンダルシア逍遥1 (矢島文夫)

歩行と思索

外国語教育への疑問 (竹内敬人)

神々の黄昏・Ⅲ (阿部良雄)

連載・ラカンシニフィアン・その五

換喩と隠喩(二) 佐々木孝次

マクシム・デュ=カンまたは凡庸な芸術家の肖像・第二部・9

変容するパリの風景 (蓮實重彦)

 

特集=人類学の最前線

ロドニー・ニーダムの思想

片側人間 (R・ニーダム、長島信弘(訳))

象徴的分類と比較研究 (吉田禎吾)

比較主義者としてのニーダム (長島信弘)

系譜とカテゴリー (吉岡正徳)

ギアーツ

ギアーツ試論――解釈学の解釈に向けて (小泉潤二)

ギアーツと歴史学――時代の徴 (R・ウォルターズ、木村秀雄・雄倉和子(訳))

カスタネダ

孤独な鳥の条件 (中沢新一)

エッセイ

バリで考えたこと (栗本慎一郎)

経済人類学

<経済人類学>の危機と可能性 (春日直樹)

深層心理学と人類学

ユング文化人類学 (樋口和彦)

ヴィトゲンシュタインと人類学

コンテキスト感覚 (丘澤静也)

人類学の現在

人類学は社会の自然科学か? (E・リーチ、白川琢磨(訳))

文化は肉と利のためか (M・サーリンズ、板橋作美・板橋礼子(訳))

討議

人類学的理解とは何か (内堀基光・小松和彦・関本照夫・船曳建夫)

 

連載・シャンカラ神秘主義・第二十三回

自我の本質に迫る 四 (中村元)

連載・思考の生理学・18

「ハウ・ツー時代」 (千葉康則)

研究手帖

エメトの概念 (八木誠一)

 

 

関根康正 2018 『ストリート人類学』

関根康正

 2018 『ストリート人類学 ――方法と理論の実践的展開』 風響社 

ストリート人類学―方法と理論の実践的展開

ストリート人類学―方法と理論の実践的展開

 

  

目次

 序章 ストリート人類学という挑戦(関根康正)

起 メジャー・ストリートの暴力と排除に抗し――棄民される人々の中へ

 一章 新たなローカリティを創発せざるを得ない人々(トム・ギル)

 二章 施設と暴力の現在(飯嶋秀治)

 三章 児童養護施設等における暴力問題の理解と対応(田嶌誠一)

 四章 如何に被差別の当事者性を獲得するか?(根本 達)

承 ストリートの表層と内奥の往還――新しい敷居の発見から自覚へ

 五章 ゾンビ化するストリートの存在論(近森高明)

 六章 ストリートの記憶と痕跡(南 博文)

 七章 パリと東京のストリートにおける共同性(モニカ・ザルツブルン)

 八章 野菜とひとが紡ぐローカリティ(鈴木晋介

 九章 阿波木偶の伝統と被差別民の漂泊性(姜 竣)

 一〇章 放浪民ジョーギーの定住化と呪術性の現在(中野歩美)

 一一章 カンボジアにおける市場経済化と絹織物業(朝日由実子)

 一二章 国境を越えるねずみたちのストリート(森田良成)

転 マイナー・ストリートの創造力︱︱ヘテロトピア・デザインに向かう実践

 一三章 下からの創発的連結としての歩道寺院(関根康正)

 一四章 ハノイ民衆ストリートの文化組成力とアフリカ受容(和崎春日)

 一五章 ストリート言語から国民形成の鍵へ(小馬 徹)

 一六章 ネオリベラリズムとカナダ・イヌイットの社会変化(岸上伸啓)

 一七章 生まれ育った地域で生きる(村松彰子)

 一八章 災害ユートピアが終わるとき(小田 亮)

結 ストリート人類学の要諦――「ネオリベ・ストリート化」から「根源的ストリート化」へ

 一九章 ヘテロトピアと近傍(西垣 有)

 二〇章 ヘテロトピア・デザインの実践(関根康正)

 結章 ストリート人類学の方法と理論(関根康正)

総括討論

 1 生成変化という一つの先端をめぐって(西垣 有)

 2 路傍の信仰とノスタルジアからみたストリートの人類学(野村雅一

 3 「神話」と「後背地」から見たストリート人類学(阿部年晴)

 あとがき/索引

 

内容

 ネオリベラリズムという名の妖怪が人類を路上に追いやっている。世界の街角からその実態を拾い上げ、極北においてなお発現する人間の創発力をも捉えようとする、人類学的研究の社会的コミットメントの成果。

 

 

 

川喜田二郎 1967 『発想法 ――創造性開発のために』

川喜田二郎

 1967 『発想法 ――創造性開発のために』 中央公論新社(中公新書136) 

発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))

発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))

 

 

目次

まえがき

Ⅰ 野外科学――現場の科学

Ⅱ 野外科学の方法と条件

Ⅲ 発想をうながすKJ法

Ⅳ 創造体験と自己変革

Ⅴ KJ法の応用とその効果

Ⅵ むすび

 

内容(カバーより)

 長い間、書斎科学・実験科学だけにとじこもっていたわれわれは、“現場の科学”ともいうべき野外科学的方法に眼をむけるときにきている――と提言する著者が、問題提起→外部探検(情報集め)→観察→記録→分類→統合にいたる野外科学的方法とその応用について具体的に説きながら、独創的発想をうながす新技術として著効をうたわれるKJ法の実技と効用とを公開する。職場で書斎で、会議に調査に、欠かせぬ創造性開発のための必読書。

 

 一言コメント

 高名なヒマラヤ研究者である著者が開発した発想法の古典、KJ法を解説した名著。KJ法自体は周知のことと思いますので説明しませんが、改めて読み直してみると書斎科学(人文学)でも実験科学(自然科学)でもない第三の科学として野外科学を定義する先見性や、ブレインストーミングPERT法を組み合わせたときにKJ法は真価を発揮するいう発想法同士の相乗効果の指摘など新たな発見も多々ありました。本書自体がKJ法によって書かれており、各章の扉にはその章のもとになった図解が示されているので、著者の実際の思考の跡もうかがえて興味深いです。

 ただ時代の制約か、どうしても国民性の議論に走ってしまうところには古さも感じます。良くも悪くも高度経済成長で勢いに乗り、海外への再進出も果たした日本を背景に、増え続ける情報をどう整理して日本人を強くしてゆくかという問題意識から生まれた発想法なのだなというところも新しい気づきでした。

田辺繁治(編) 1989 『人類学的認識の冒険 ――イデオロギーとプラクティス』

田辺繁治(編)

 1989 『人類学的認識の冒険 ――イデオロギーとプラクティス』 同文舘出版

人類学的認識の冒険―イデオロギーとプラクテイス

人類学的認識の冒険―イデオロギーとプラクテイス

 

 

目次

序章 人類学的認識の冒険

第Ⅰ部 人類学の射程

第1章 民族論メモランダム (内堀基光)

第2章 「血」の神秘 ――親子のきずなを考える (清水昭俊)

第3章 民族誌的記述と精神医学的面接 (野田正彰)

第4章 人類学にできること (関本照夫)

第5章 民族誌記述におけるイデオロギーとプラクティス (田辺繁治)

 

第Ⅱ部 現代思想の地平

第6章 イデオロギーとプラクティス (今村仁司)

第7章 イデオロギーと主体の構成 (山崎カヲル)

第8章 イデオロギー批判の問題次元 ――「アルチュセール・テーゼ」の転換 (高幣秀知)

第9章 儀礼研究への方法論的前梯 ――物象化論の視座から (廣松渉)

 

第Ⅲ部 民族誌の実践

第10章 アッラーと人々のあいだに ――イスラームにおける「近代」の一側面 (大塚和夫)

第11章 南インドのハリジャン自立運動 (中村尚司)

第12章 必然に閉じ込められた変革 ――儀礼の強制力に関する一考察 (宮永國子)

第13章 ヒンドゥ奉納儀礼の研究 ――カーヴァディとそのコンテクスト (田中雅一)

第14章 死を投げ棄てる方法 ――儀礼における日常性の再構築 (浜本満)

第15章 語り意味から操りの力へ ――西ケニアのフィールドワークから (松田素二)

第16章 イデオロギーの構築と歴史 (モーリス・ブロック)

あとがき

 

内容

 儀礼エスノグラフィ、現代思想をめぐって人類学の新たな地平を切り拓く。人類学、哲学、経済学、精神医学などからの総合的アプローチ。国立民族学博物館の共同研究の成果。

 

一言コメント

 分野外には知られていませんが、人類学徒なら知らぬものはない名著です。ちょうど30年前に編まれた論集で、いま定年に差し掛かろうかという大御所たちの若りし日の勢いある論考が並んでおり圧巻です。特に「第1章 民族論メモランダム」と「第14章 死を投げ棄てる方法」は現在も頻繁に引用される重要論文。この本が出版されたのはまさにWriting Cultureの津波が日本に押し寄せている時期で、まもなく日本の人類学も壊滅状態に陥ってしまうわけですが、その最後の煌めきと言ってよいかもしれません。

 また第Ⅱ部の現代思想家たちとの対話については当時の状況が垣間見られて興味深いです。雰囲気はようやく息を吹き返した2010年代日本の人類学と似ているようにも思います。現在は「存在論」として交わされている議論が、このころは「認識論」のタームのもとにおこなわれていたと、解釈できるのではないでしょうか。

金セッピョル 2019 『現代日本における自然葬の民族誌』

金セッピョル

 2019 『現代日本における自然葬の民族誌』 刀水書房 

現代日本における自然葬の民族誌

現代日本における自然葬の民族誌

 

 

目次

序章 新しい死の受容装置                

第1部 社会運動としての自然葬   

 第1章 「葬送の自由をすすめる会」の理想

 第2章 理念としての自然葬

第2部 慣習とせめぎ合う自然葬   

 第3章 創出される自然葬の意味

 第4章 実践としての自然葬

第3部 ダイナミズムのなかの自然葬

 第5章 日本社会の変化と自然葬の意味再編

 第6章 会長交代と新たな問いかけ

 終章 「送られる」と「送る」の間で

参考文献/索引

 

内容

「死を受け入れる」こととは何か!

葬送儀礼は,遺体の腐敗や死者の行方などに説明を与えることで,死を認識可能なものに変換させる文化的装置である。しかし近年,これまで行われてきた葬送儀礼では死を変換しきれない人々が増えている。…(略)…本書は,新しい葬送儀礼を営むことで死を受け入れようとしてきた人々の,不断の試みを描くものである。

NPO法人「葬送の自由をすすめる会」を中心に,日本の近代に成立した共同体と宗教を超えたところで葬送儀礼がいかに生成され,個人はどのように死と向き合っていくかを明らかにしています。

 

 

飛内悠子 2019 『未来に帰る ――内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷』

飛内悠子

2019 『未来に帰る ――内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷』 風響社

未来に帰る―内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷

未来に帰る―内戦後の「スーダン」を生きるクク人の移住と故郷

 

 

目次

はじめに――帰還前夜

序章 移動・帰郷・場所をめぐる考察

第一章 カジョケジが故郷になるまで

第二章 ハルツームのクク人――移住の過程とその生活

第三章 故郷とのつながりの形成と変化――帰還をめぐって

第四章 ジュバのクク人――差異と都市を生きる人びと

第五章 カジョケジのクク人――故郷とは何か

第六章 ハルツームを生きる人びと

終章 未来に帰る――移住が帰郷になるとき

あとがき

 

内容

移動と定住の間には何があるのだろうか? そして移動は人間に何をもたらすのか? 

数百万人の難民を生んだ内戦の終結は、人生・場所・生活それぞれの組み合わせにより、20年後の故郷への帰還、住み慣れた異郷での定住などさまざまな位相を生んだ。苦難の「ホモ・モビリタス(移動するヒト)」への人類学アプローチ。